春日野部屋で起きた傷害事件はいろいろ波紋を広げていますね。兄弟子が弟弟子に対して暴行を加えて事件で味覚障害を負ったということで大変なニュースになっていました。
しかし、春日野親方はこれに対して情報を公表せずに隠蔽したのではないかという疑いを持たれています。春日野親方の人格や人柄については、ネット上でもかなり評判が悪くなっていて、理事も辞任すべきという声も多いです。
一連の報道をみて春日野親方という人がどんな人なのか気になったので、現役時代の成績や評判などをいろいろ調べてみたので紹介していきます。
春日野親方の現役時代の成績、人柄、性格を検証!本名や身長、体重は?
春日野親方の現役時代の四股名は栃乃和歌です。四股名の由来は春日野部屋伝統の「栃」の字に出身の和歌山の「和歌」で栃乃和歌となったそうです。
最初は栃和歌にしようとしたそうですが、栃若時代というのがあり、それと音がかぶるということで間に乃をいれたそうです。本名は綛田清隆(かせだきよたか)です。綛田って名字は始めて見ましたが、かなり珍しい名字で全国でおよそ350人しかいないでそうです。
身長は189cmで体重が157kgあったそうです。現役の横綱と比較すると白鵬 192cm 155kg、鶴竜 186cm 155kg、稀勢の里 187cm 184kgなので、体格的には横綱と遜色ない感じだったみたいですね。
春日野親方の現役時代の経歴と成績は?最高番付はどのくらい?
春日野親方は高校時代から本格的に相撲を始めて明治大学に進学したそうです。その後は全国大会に優勝するなどして実力をつけていったそうです。
大学時代は勉強もしっかりしていて、経営学部出身で卒業論文はマルクス資本論だったらしいです。失礼ながらなんとなくのイメージであんまり頭が良くないと思っていたのですが、意外とインテリなんですね。
春日野部屋には出稽古をつけてもらった縁があって入門したそうです。
八角親方の現役時代の成績や人柄、評判は?貴乃花との確執はいつから?
1985年3月場所で初土俵、1986年9月場所に十両に昇進、1987年1月場所に新入幕。1988年に関脇にまで昇進しています。
着実に成長していき、一時は三役の常連で大関も期待されたそうですが、攻めが遅くて体が固く、怪我の影響もあって、大関には到達できなかったそうです。
現役の期間は1985年から1999年7月場所までで、成績は生涯戦歴588勝621敗24休(87場所)、十両優勝1回、幕下優勝1回でした。表彰歴は殊勲賞2回、敢闘賞3回、技能賞1回です。
最高番付は関脇でそこまで高くないですが、幕内上位で相撲を取り続けて、安定した成績だったようですし、強い力士だったのではないでしょうか。
春日野親方の現役時代の成績、人柄、性格を検証!
性格や評判などについてはあまり情報がないみたいです。最高番付が関脇でそこまで有名な力士ではないですし、現役時代はネットとかも普及していないので当時の評判とか人気はなかなか知れないかもしれませんね。
春日野親方の現役時代について調べて見ましたが、幕内上位で長いこと相撲を取り続けていますし、そこまで目立った悪評とかはなかったので普通に真面目で努力家だったと言えそうです。
現役を引退後は春日野部屋を襲名します。春日野親方の9代目と10代目が横綱だったということもあり、自身が襲名する際には、自身の最高位が関脇であったことに対して引け目を感じるのではないかと言われていたそうです。
しかし、春日野親方は「”弱者”というか、三役にとどまった者だからこそできる指導もある」「99%の力士は天才ではない」という考えを持っていて、引け目を感じること無く、自分の強みを理解した上で指導にあたったそうです。
こういう話をきくとけっこうポジティブで前向きな性格なのかもしれませんね。相撲解説はわかりやすいと好評みたいですし、論理立ててわかりやすく話すことができるということで頭もいいんじゃないでしょうか。栃ノ心も優勝させていますし、指導力も高そうです。
過去にはゴルフクラブでの殴打事件とかもありましたし、暴行事件の隠蔽とかもあって評判が悪いですが、現役時代はそうした問題もなかったみたいですし、優等生タイプだったのかもしれませんね。
人格的に問題があったというわけではなく、相撲協会に長くいることで組織に忠実で従順な人間になったという可能性もありそうです。
親方になって絶対的に強い権力とか権威とかを持つと横暴になったり、傲慢になったりして人格にも変化がありそうだし、こういった絶対的な上下関係みたいなのは改善したほうがいいんじゃないかなとおもいますね。
現役時代はファンだった、かっこよかったです